ニューヨークに借りていたアパートの地上げ問題から始まった、クリント・バートンのトラブル続きの日常は、いつの間にか深刻な局面を迎えていた。
友人を殺され、ガールフレンドとは破局寸前、さらに相棒である’もう一人のホークアイ’ケイト・ビショップは(犬を連れて)西海岸へと去った……。
そんな彼の前に、兄であるバーニー・バートンがホームレス同然の姿で現われる。
かつて死闘を繰り広げた兄の登場は、何を意味するのか? 一方でジャージ軍団は、アパートを奪おうと、最後の総攻撃を仕掛けようとしていた……。
アメコミ史に残る名シリーズ、堂々のフィナーレ!
●収録作品●『HAWKEYE』#12,#13,#15,#17,#19,#21,#22
ホークアイ(マーベル・ナウ!)

コメント
大人センスを凝縮した作風でも最後はちゃんと大団円。
手話等々あえて「わかりづらい」表現を使う中、子供の言葉でわかりやすくホークアイ達を語ったウィンターフレンズが後から読むと泣けてくる。
本来は「L.A.ウーマン」に掲載されたケイトの話は交互に連載しているのだが固めて掲載されている。
弓の腕はあるが常人であるクリントの公式任務以外を描いたこの作品らしくまとまっていた。
ここまでの巻は様々な表現技法がとても楽しかったのだが、この巻に関してはどこか読みにくい印象を覚えてしまった。
シナリオ的に佳境になってきたからだろうか。
あえて「絵」に注目させていると思えばいい効果を生んでいるかもしれないので、一回で理解するためというよりは、何度か読み返して考えたときにしっくりくるような作品だと感じた。
クリント・バートンの小さな戦いは一度幕を下ろす。
読み返してみるとこのシリーズはホークアイというキャラクターを知るのにぴったりなシリーズでした。
歴史あるキャラクターですし、ライターによってその都度印象も違うでしょう。
ジェレミー・レナーが演じるキャラクターともまた違うかと思います。
ですが、「ホークアイ」のイメージの最大公約数を具現化したかの様な今回のホークアイ(少なくとも僕はそう感じました)、MCUから好きになったキャラクターですがさらに好きになりました。
ホークアイの魅力は冒頭クリントが見てるアニメ「ウィンターフレンズ」の劇中でのセリフ「ウィンターフレンズかどうかなんて関係ない。
誰かがお前みたいな大悪党と戦うのを、手伝わずにはいられないんだ!
」に集約されていると思います。
ホークアイは他のアベンジャーズに比べたら非力かもしれません。
ですが非力だろうが無力がだろうが関係ない。
自分がやらねばならないと思ったことを愚直にやる。
それが僕がホークアイに感じる魅力です。
言葉が足りなかったり、うまく伝えられない不器用さ・人間臭さもクリント・バートンというひとりの人間として共感してしまいます。
内容ですが、兄・バーニーとの再会と共闘、ケイトとの和解などミニマルながらドラマチックな展開が繰り広げられます。
このミニマルでドラマチックな物語がデビッド・アハのアートとにかく親和性が高く、ぐいぐいと引き込まれました。
(今巻のアートのほどんどがアハ担当)
もう何度も言っていますがとにかくかっこいい。
今後アハのアートというだけで読みたくなってしまうほど。
お話はどれも面白いのですが、中でも「音のない世界で」は聴覚を失ったクリントの視点から「音=文字」が失われた世界が描かれます。
淡々とした描写、手話を用いたマンガ表現とやはりかっこいい。
クリントが再度決意を固める最後のシーンもとにかく熱い。
本当にホークアイ:クリント・バートンを知り、好きになるには十分すぎるシリーズでした。
物語の幕は一度下りますが、ホークアイシリーズは書き手が変わって続いているようなので新たに邦訳されることがあったら手に取りたいです。
まさかこのシリーズで、ここまでグッとくるとは!
まさかこのシリーズで、ここまでグッとくるとは!
クリント・バートンの小さな戦いは一度幕を下ろす。
読み返してみるとこのシリーズはホークアイというキャラクターを知るのにぴったりなシリーズでした。
歴史あるキャラクターですし、ライターによってその都度印象も違うでしょう。
ジェレミー・レナーが演じるキャラクターともまた違うかと思います。
ですが、「ホークアイ」のイメージの最大公約数を具現化したかの様な今回のホークアイ(少なくとも僕はそう感じました)、MCUから好きになったキャラクターですがさらに好きになりました。
ホークアイの魅力は冒頭クリントが見てるアニメ「ウィンターフレンズ」の劇中でのセリフ「ウィンターフレンズかどうかなんて関係ない。
誰かがお前みたいな大悪党と戦うのを、手伝わずにはいられないんだ!
」に集約されていると思います。
ホークアイは他のアベンジャーズに比べたら非力かもしれません。
ですが非力だろうが無力がだろうが関係ない。
自分がやらねばならないと思ったことを愚直にやる。
それが僕がホークアイに感じる魅力です。
言葉が足りなかったり、うまく伝えられない不器用さ・人間臭さもクリント・バートンというひとりの人間として共感してしまいます。
内容ですが、兄・バーニーとの再会と共闘、ケイトとの和解などミニマルながらドラマチックな展開が繰り広げられます。
このミニマルでドラマチックな物語がデビッド・アハのアートとにかく親和性が高く、ぐいぐいと引き込まれました。
(今巻のアートのほどんどがアハ担当)
もう何度も言っていますがとにかくかっこいい。
今後アハのアートというだけで読みたくなってしまうほど。
お話はどれも面白いのですが、中でも「音のない世界で」は聴覚を失ったクリントの視点から「音=文字」が失われた世界が描かれます。
淡々とした描写、手話を用いたマンガ表現とやはりかっこいい。
クリントが再度決意を固める最後のシーンもとにかく熱い。
本当にホークアイ:クリント・バートンを知り、好きになるには十分すぎるシリーズでした。
物語の幕は一度下りますが、ホークアイシリーズは書き手が変わって続いているようなので新たに邦訳されることがあったら手に取りたいです。
本来は「L.A.ウーマン」に掲載されたケイトの話は交互に連載しているのだが固めて掲載されている。
弓の腕はあるが常人であるクリントの公式任務以外を描いたこの作品らしくまとまっていた。
ここまでの巻は様々な表現技法がとても楽しかったのだが、この巻に関してはどこか読みにくい印象を覚えてしまった。
シナリオ的に佳境になってきたからだろうか。
あえて「絵」に注目させていると思えばいい効果を生んでいるかもしれないので、一回で理解するためというよりは、何度か読み返して考えたときにしっくりくるような作品だと感じた。
大人センスを凝縮した作風でも最後はちゃんと大団円。
手話等々あえて「わかりづらい」表現を使う中、子供の言葉でわかりやすくホークアイ達を語ったウィンターフレンズが後から読むと泣けてくる。