一流企業の大昭物産の社長の座まで上りつめた風太郎だが、貧しかった頃の恨みはいつまでも消えることがなく、金への執着は益々強まった。
この世に金で買えないものはない。
そう信じて疑わない風太郎は、金の力を使って政界に進出する。
だが欲しいものをすべて手にいれた彼を待っていたのは……。
長年入手困難だった不朽の名作、ついに文庫化!
銭ゲバ

一流企業の大昭物産の社長の座まで上りつめた風太郎だが、貧しかった頃の恨みはいつまでも消えることがなく、金への執着は益々強まった。
この世に金で買えないものはない。
そう信じて疑わない風太郎は、金の力を使って政界に進出する。
だが欲しいものをすべて手にいれた彼を待っていたのは……。
長年入手困難だった不朽の名作、ついに文庫化!
コメント
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
意外と望みがシンプルで嫌いになれない
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
「てめえら銭ゲバだぜ」
いや社会ってお金っていう通貨観念があるから発達したんだって。
お金に翻弄された挙句自殺した人の話。
知識って大事ね。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
」が口癖になりそう(´ω`)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
不運にも毒の沼に生まれてしまった子供は、どうすればいいのか?
消えてしまえ、死んでしまえと言えるなら、言えばいい。
わたしは言えないけど。
だから、そんな人たちを悪だとは言えないけど。
でも、言える人は言えばいい。
そして消すなり殺すなりできるならしてみればいい。
わたしには、できないけど。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
あらゆる人間を踏み台にし、殺しも厭わずにやってのけ、ついに金のみならず権力も名声も手にした風太郎。
彼に訪れるあまりに唐突な、しかし完璧なラストには度肝を抜かれます。
多忙のせいか、かなり絵は荒れている部分もありますし、アバンギャルドな表現も多々見られて付いていくのがやっとという場面もありますが、この疾走感に引きずられ、一気に読ませます。
風太郎の顔のアシンメトリーというのは、見た目の醜さの分かりやすい表現なのですが、これがよく効いている。
右側を見ると不敵でワルそのものの顔、しかし左側を見ると、悲しさに慟哭する救われぬ顔。
この対比が素晴らしい。
このデザインの妙は自覚的なものか無自覚なのか分かりませんが、後半はこの横顔の連続ショットが多用されており、とても効果的だと思います。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
ならば弱肉強食の闘いの策を立てた方が利己だ。
人生…は現実なんだ。
権力が自分の手の中に次第に入る又は入りつつあるという感情こそが人間の満足感、幸せだと思います!
権力を憎む者は権力を倒して自分が権力を得ようとするからだと思います。
何時も私だけが正しかった。
この世に真実があるあったとしたらそれは私だ。
私が死ぬのは悪しき者供から私の心を守る為だ。
私は死ぬ。
私の勝ちだ。
私は人生に勝った。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
風太郎に同情はできないけれど、何とも言えない悲しさが残る。
ここまで極端でなくても(殺人とか)、他人に絶望して人生を送っている人は多いのではないだろうか。
すべて手に入れて、さて、幸せとは何ぞやと考えた時に原稿用紙の上に出てきた情景は本当に普通の暮らしだった。
家族仲良くつつましく暮らす。
たったそれだけのこと。
そのことに気づいてしまったからあのラストなのだろう。
悲しいとしか言いようがない。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
主人公が到達した人の善悪の真理に圧倒される。
罪を犯し続ける人間という生き物の魂をここまで追求しえた娯楽作品が他にいくつあるだろうか。
多彩で深く、世界で評価される日本のマンガが今日あることの底力は、70年代にこういう作品が表現され、受け入れられていたという経験を経ているからだな、と改めてその表現力とテーマ性に感嘆。
憎しみと哀しみを左右のペルソナに持つ主人公の顔!
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
この本で彼は政界に進出するために金を使ってあらゆる手段を尽くすのですがその果てに彼を待っているものは…。
壮絶なラストにはショックを受けました。
全てを手に入れたかに見えた『銭ゲバ』こと蒲郡風太郎。
この下巻ではついに政界にも進出しています。
しかし、栄華を極めながらもことあるごとに引用されているものがあります。
それは、旧約聖書の『ヨブ記』の一節である
『なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。
なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。
そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。
そうすればわたしは安んじており、 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。
なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか。
かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。
小さい者も大きい者もそこにおり、奴隷も、その主人から解き放される。
なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。
このような人は死を望んでも来ない、これを求めることは隠れた宝を掘るよりも、はなはだしい。
彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。
なにゆえ、その道の隠された人に、神が、まがきをめぐらされた人に、光を賜わるのか。
わたしの嘆きはわが食物に代って来り、わたしのうめきは水のように流れ出る。
わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。
わたしは安らかでなく、またおだやかでない。
わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る』
掲載されていたのは本当は一部なんだけれども、あえてここに該当箇所を全部をのせました。
なぜ彼は(手段はどうであれ)自分の生い立ちを克服して自分の望むものをすべて手に入れたはずなのに
『生まれてこなければよかった!
』
と幾度となく叫んだのか?これは僕の今後、もしかしたら一生考えるべきテーマのひとつです。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
」が口癖になりそう(´ω`)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
「てめえら銭ゲバだぜ」
いや社会ってお金っていう通貨観念があるから発達したんだって。
お金に翻弄された挙句自殺した人の話。
知識って大事ね。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
意外と望みがシンプルで嫌いになれない
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
風太郎に同情はできないけれど、何とも言えない悲しさが残る。
ここまで極端でなくても(殺人とか)、他人に絶望して人生を送っている人は多いのではないだろうか。
すべて手に入れて、さて、幸せとは何ぞやと考えた時に原稿用紙の上に出てきた情景は本当に普通の暮らしだった。
家族仲良くつつましく暮らす。
たったそれだけのこと。
そのことに気づいてしまったからあのラストなのだろう。
悲しいとしか言いようがない。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
不運にも毒の沼に生まれてしまった子供は、どうすればいいのか?
消えてしまえ、死んでしまえと言えるなら、言えばいい。
わたしは言えないけど。
だから、そんな人たちを悪だとは言えないけど。
でも、言える人は言えばいい。
そして消すなり殺すなりできるならしてみればいい。
わたしには、できないけど。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
ならば弱肉強食の闘いの策を立てた方が利己だ。
人生…は現実なんだ。
権力が自分の手の中に次第に入る又は入りつつあるという感情こそが人間の満足感、幸せだと思います!
権力を憎む者は権力を倒して自分が権力を得ようとするからだと思います。
何時も私だけが正しかった。
この世に真実があるあったとしたらそれは私だ。
私が死ぬのは悪しき者供から私の心を守る為だ。
私は死ぬ。
私の勝ちだ。
私は人生に勝った。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
あらゆる人間を踏み台にし、殺しも厭わずにやってのけ、ついに金のみならず権力も名声も手にした風太郎。
彼に訪れるあまりに唐突な、しかし完璧なラストには度肝を抜かれます。
多忙のせいか、かなり絵は荒れている部分もありますし、アバンギャルドな表現も多々見られて付いていくのがやっとという場面もありますが、この疾走感に引きずられ、一気に読ませます。
風太郎の顔のアシンメトリーというのは、見た目の醜さの分かりやすい表現なのですが、これがよく効いている。
右側を見ると不敵でワルそのものの顔、しかし左側を見ると、悲しさに慟哭する救われぬ顔。
この対比が素晴らしい。
このデザインの妙は自覚的なものか無自覚なのか分かりませんが、後半はこの横顔の連続ショットが多用されており、とても効果的だと思います。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
主人公が到達した人の善悪の真理に圧倒される。
罪を犯し続ける人間という生き物の魂をここまで追求しえた娯楽作品が他にいくつあるだろうか。
多彩で深く、世界で評価される日本のマンガが今日あることの底力は、70年代にこういう作品が表現され、受け入れられていたという経験を経ているからだな、と改めてその表現力とテーマ性に感嘆。
憎しみと哀しみを左右のペルソナに持つ主人公の顔!
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
この本で彼は政界に進出するために金を使ってあらゆる手段を尽くすのですがその果てに彼を待っているものは…。
壮絶なラストにはショックを受けました。
全てを手に入れたかに見えた『銭ゲバ』こと蒲郡風太郎。
この下巻ではついに政界にも進出しています。
しかし、栄華を極めながらもことあるごとに引用されているものがあります。
それは、旧約聖書の『ヨブ記』の一節である
『なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。
なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。
そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。
そうすればわたしは安んじており、 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。
なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか。
かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。
小さい者も大きい者もそこにおり、奴隷も、その主人から解き放される。
なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。
このような人は死を望んでも来ない、これを求めることは隠れた宝を掘るよりも、はなはだしい。
彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。
なにゆえ、その道の隠された人に、神が、まがきをめぐらされた人に、光を賜わるのか。
わたしの嘆きはわが食物に代って来り、わたしのうめきは水のように流れ出る。
わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。
わたしは安らかでなく、またおだやかでない。
わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る』
掲載されていたのは本当は一部なんだけれども、あえてここに該当箇所を全部をのせました。
なぜ彼は(手段はどうであれ)自分の生い立ちを克服して自分の望むものをすべて手に入れたはずなのに
『生まれてこなければよかった!
』
と幾度となく叫んだのか?これは僕の今後、もしかしたら一生考えるべきテーマのひとつです。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
」が口癖になりそう(´ω`)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
あらゆる人間を踏み台にし、殺しも厭わずにやってのけ、ついに金のみならず権力も名声も手にした風太郎。
彼に訪れるあまりに唐突な、しかし完璧なラストには度肝を抜かれます。
多忙のせいか、かなり絵は荒れている部分もありますし、アバンギャルドな表現も多々見られて付いていくのがやっとという場面もありますが、この疾走感に引きずられ、一気に読ませます。
風太郎の顔のアシンメトリーというのは、見た目の醜さの分かりやすい表現なのですが、これがよく効いている。
右側を見ると不敵でワルそのものの顔、しかし左側を見ると、悲しさに慟哭する救われぬ顔。
この対比が素晴らしい。
このデザインの妙は自覚的なものか無自覚なのか分かりませんが、後半はこの横顔の連続ショットが多用されており、とても効果的だと思います。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
この本で彼は政界に進出するために金を使ってあらゆる手段を尽くすのですがその果てに彼を待っているものは…。
壮絶なラストにはショックを受けました。
全てを手に入れたかに見えた『銭ゲバ』こと蒲郡風太郎。
この下巻ではついに政界にも進出しています。
しかし、栄華を極めながらもことあるごとに引用されているものがあります。
それは、旧約聖書の『ヨブ記』の一節である
『なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。
なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。
そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。
そうすればわたしは安んじており、 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。
なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか。
かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。
小さい者も大きい者もそこにおり、奴隷も、その主人から解き放される。
なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。
このような人は死を望んでも来ない、これを求めることは隠れた宝を掘るよりも、はなはだしい。
彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。
なにゆえ、その道の隠された人に、神が、まがきをめぐらされた人に、光を賜わるのか。
わたしの嘆きはわが食物に代って来り、わたしのうめきは水のように流れ出る。
わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。
わたしは安らかでなく、またおだやかでない。
わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る』
掲載されていたのは本当は一部なんだけれども、あえてここに該当箇所を全部をのせました。
なぜ彼は(手段はどうであれ)自分の生い立ちを克服して自分の望むものをすべて手に入れたはずなのに
『生まれてこなければよかった!
』
と幾度となく叫んだのか?これは僕の今後、もしかしたら一生考えるべきテーマのひとつです。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
意外と望みがシンプルで嫌いになれない
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
風太郎に同情はできないけれど、何とも言えない悲しさが残る。
ここまで極端でなくても(殺人とか)、他人に絶望して人生を送っている人は多いのではないだろうか。
すべて手に入れて、さて、幸せとは何ぞやと考えた時に原稿用紙の上に出てきた情景は本当に普通の暮らしだった。
家族仲良くつつましく暮らす。
たったそれだけのこと。
そのことに気づいてしまったからあのラストなのだろう。
悲しいとしか言いようがない。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
不運にも毒の沼に生まれてしまった子供は、どうすればいいのか?
消えてしまえ、死んでしまえと言えるなら、言えばいい。
わたしは言えないけど。
だから、そんな人たちを悪だとは言えないけど。
でも、言える人は言えばいい。
そして消すなり殺すなりできるならしてみればいい。
わたしには、できないけど。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
主人公が到達した人の善悪の真理に圧倒される。
罪を犯し続ける人間という生き物の魂をここまで追求しえた娯楽作品が他にいくつあるだろうか。
多彩で深く、世界で評価される日本のマンガが今日あることの底力は、70年代にこういう作品が表現され、受け入れられていたという経験を経ているからだな、と改めてその表現力とテーマ性に感嘆。
憎しみと哀しみを左右のペルソナに持つ主人公の顔!
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
「てめえら銭ゲバだぜ」
いや社会ってお金っていう通貨観念があるから発達したんだって。
お金に翻弄された挙句自殺した人の話。
知識って大事ね。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
ならば弱肉強食の闘いの策を立てた方が利己だ。
人生…は現実なんだ。
権力が自分の手の中に次第に入る又は入りつつあるという感情こそが人間の満足感、幸せだと思います!
権力を憎む者は権力を倒して自分が権力を得ようとするからだと思います。
何時も私だけが正しかった。
この世に真実があるあったとしたらそれは私だ。
私が死ぬのは悪しき者供から私の心を守る為だ。
私は死ぬ。
私の勝ちだ。
私は人生に勝った。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
この本で彼は政界に進出するために金を使ってあらゆる手段を尽くすのですがその果てに彼を待っているものは…。
壮絶なラストにはショックを受けました。
全てを手に入れたかに見えた『銭ゲバ』こと蒲郡風太郎。
この下巻ではついに政界にも進出しています。
しかし、栄華を極めながらもことあるごとに引用されているものがあります。
それは、旧約聖書の『ヨブ記』の一節である
『なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。
なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。
そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。
そうすればわたしは安んじており、 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。
なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか。
かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。
小さい者も大きい者もそこにおり、奴隷も、その主人から解き放される。
なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。
このような人は死を望んでも来ない、これを求めることは隠れた宝を掘るよりも、はなはだしい。
彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。
なにゆえ、その道の隠された人に、神が、まがきをめぐらされた人に、光を賜わるのか。
わたしの嘆きはわが食物に代って来り、わたしのうめきは水のように流れ出る。
わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。
わたしは安らかでなく、またおだやかでない。
わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る』
掲載されていたのは本当は一部なんだけれども、あえてここに該当箇所を全部をのせました。
なぜ彼は(手段はどうであれ)自分の生い立ちを克服して自分の望むものをすべて手に入れたはずなのに
『生まれてこなければよかった!
』
と幾度となく叫んだのか?これは僕の今後、もしかしたら一生考えるべきテーマのひとつです。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
意外と望みがシンプルで嫌いになれない
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
風太郎に同情はできないけれど、何とも言えない悲しさが残る。
ここまで極端でなくても(殺人とか)、他人に絶望して人生を送っている人は多いのではないだろうか。
すべて手に入れて、さて、幸せとは何ぞやと考えた時に原稿用紙の上に出てきた情景は本当に普通の暮らしだった。
家族仲良くつつましく暮らす。
たったそれだけのこと。
そのことに気づいてしまったからあのラストなのだろう。
悲しいとしか言いようがない。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
ならば弱肉強食の闘いの策を立てた方が利己だ。
人生…は現実なんだ。
権力が自分の手の中に次第に入る又は入りつつあるという感情こそが人間の満足感、幸せだと思います!
権力を憎む者は権力を倒して自分が権力を得ようとするからだと思います。
何時も私だけが正しかった。
この世に真実があるあったとしたらそれは私だ。
私が死ぬのは悪しき者供から私の心を守る為だ。
私は死ぬ。
私の勝ちだ。
私は人生に勝った。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
あらゆる人間を踏み台にし、殺しも厭わずにやってのけ、ついに金のみならず権力も名声も手にした風太郎。
彼に訪れるあまりに唐突な、しかし完璧なラストには度肝を抜かれます。
多忙のせいか、かなり絵は荒れている部分もありますし、アバンギャルドな表現も多々見られて付いていくのがやっとという場面もありますが、この疾走感に引きずられ、一気に読ませます。
風太郎の顔のアシンメトリーというのは、見た目の醜さの分かりやすい表現なのですが、これがよく効いている。
右側を見ると不敵でワルそのものの顔、しかし左側を見ると、悲しさに慟哭する救われぬ顔。
この対比が素晴らしい。
このデザインの妙は自覚的なものか無自覚なのか分かりませんが、後半はこの横顔の連続ショットが多用されており、とても効果的だと思います。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
「てめえら銭ゲバだぜ」
いや社会ってお金っていう通貨観念があるから発達したんだって。
お金に翻弄された挙句自殺した人の話。
知識って大事ね。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
主人公が到達した人の善悪の真理に圧倒される。
罪を犯し続ける人間という生き物の魂をここまで追求しえた娯楽作品が他にいくつあるだろうか。
多彩で深く、世界で評価される日本のマンガが今日あることの底力は、70年代にこういう作品が表現され、受け入れられていたという経験を経ているからだな、と改めてその表現力とテーマ性に感嘆。
憎しみと哀しみを左右のペルソナに持つ主人公の顔!
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
不運にも毒の沼に生まれてしまった子供は、どうすればいいのか?
消えてしまえ、死んでしまえと言えるなら、言えばいい。
わたしは言えないけど。
だから、そんな人たちを悪だとは言えないけど。
でも、言える人は言えばいい。
そして消すなり殺すなりできるならしてみればいい。
わたしには、できないけど。
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
」が口癖になりそう(´ω`)